登場人物
・ペペル(木賃宿に住む泥棒)
・男爵(ギャンブルにハマり過ぎて、金策に困って国の金に手を出してしまい、木賃宿へ流れ着く)
・木賃宿の主
・木賃宿の女房
・ナターシャ(木賃宿の女房の義理の妹)
・アル中男(木賃宿の住民)
・アンナ(木賃宿で死亡する女性)
・警察署長
・太っちょ警察官
感想
ロシアの劇作家マクシム・ゴーリキー原作。
『セールスマンの死』を観た後、Amazonプライムから「あなたが興味のありそうな映画」という通知が届いたため、どのくらいどん底なのか見せてもらおうと思って観た作品。
テンポが速い上に群集劇のような作品のため、人物関係やストーリーの筋が少し掴みづらいが、何となく観ているだけでも作品の世界観が心地よかった。
木賃宿というのは、本作では恐らく職を失った人達が集まって生活する宿のこと。
現代でも、どの国にでも何らかの形で存在していると思う(ここの住民は泥棒稼業みたいなことをしているようだった)。
終盤に差し掛かるまでは、木賃宿には、一生懸命に読書をしている者を笑いものにする等、モラルの低い言動はあるものの(そういった人間はどの業界にもいる)、言いたいことを言える仲間がいて少しの愛もあって、楽しそうにカードなどをやるシーンを観て、愚痴が多いだけで(ペペルも「ここの連中は愚痴ばかりだ」と言っていた)、どん底には見えなかった。
しかし、終盤に入ってから、太っちょ警察官とナターシャがレストランで食事をするシーンの他の客達を見て、木賃宿の住民との決定的な違いに気付いた。
木賃宿の外の世界(一定水準以上の生活をしている)の人々には夢があり、目標があることを感じた。
そこには食事を楽しみ、愛を育み、娯楽があった。
木賃宿の人々からは、楽しそうに遊んではいても、貧しく、生きていくことに精一杯で、夢や目標を持つといった「ゆとり」を感じなかった。
そこに「どん底」を感じた。
登場人物1人1人の動きが、(役者が動く目的を明確にしていたため)しっかりしていた。
ペペルと男爵の生き方が木賃宿での交点はあったものの、常に対照的で分かりやすかった。
ペペルが窃盗容疑で捕まった時に男爵が警察を訪れるシーンがあるのだが、警察署長の男爵への態度から男爵の社会的地位の大きさが伝わってきた(脇役の方が役作り難しそうだな・・・)。
ペペルも最初は夢のない男であったが、男爵の邸宅に盗みに入ったにも拘らず、丁寧に接してもらえたことで少しずつ変わり始める(男爵も人生が上手くいかなくなってきたため、開き直って話し相手が欲しかった)。
世の中捨てたもんじゃないと思い始め、アンナの死をきっかけに自分が本当に愛する人と木賃宿を出て、真っ当な仕事をしながら生きていきたいという目標を持つようになった。
泥棒時代のペペルは巡回中の警察官とすれ違う時、警察官を避けるようにして歩いていたが、ラストシーンで真っ当な生活を送るようになった時には、すれ違う警察官に帽子を取って挨拶しているのを見て、目標を叶えることができたことが伝わってきた。
アル中が後半のシーンで目に涙を浮かべながら、何事か話していたのを見て、アル中も昔は真っ当な仕事をしていたが、上手くいかないことがあって酒に溺れ、後悔しながら生きているのかもしれないと思った。
木賃宿の亭主が太っちょ警察官から「ガサ入れがある」と聞かされた時の、太っちょ警察官に対してゴマをすりながら、何をやってほしいか探るような言い回しが面白かった(亭主がアイデアに詰まった時、女房が太っちょ警察官と一緒にテーブルをコツコツ叩くのも良かった)。
話は変わるが、人の感情で最も醜いものの1つに、嫉妬や妬みが深化して生じる「恨み」があると思う。
その「恨み」に被害者として遭遇してしまうと、凌ぐ方法は(放って置くとエスカレートするだけなため)「覚悟を決めて加害者を叩き潰す」か、「身を引く」か、「周囲に自分を認めさせて、より大きな力で抑え込んでもらう」かの3通りくらいしかない。
この物語ではペペルは木賃宿の主の女房と付き合っていたが、ナターシャのことが好きで、主の女房と揉めながら別れたことから、その「恨み」を買っていた。
そのため、木賃宿の亭主が亡くなった時、女房もその死を望んでいたにも拘わらず、駆けつけた警察に対し、ペペルが殺したと必死に訴えていたシーンがリアリティに溢れ、衝撃的だった。
ペペルの場合は、木賃宿の多くの仲間たちが、「より大きな力」の役割を果たして彼を庇い極刑になることを免れさせた。
彼らのおかげで、泥棒の生き方しか教わってこなかったペペルは最後に幸せを掴めたことが、いつまでも私自身の心に残った。