あらすじ
3等車の列車内で出会ったチェンバース、カーチス、それにジルダの3人はたちまち意気投合し、一緒に暮らすことに。
劇作家のチェンバース、画家のカーチス、それぞれの目標に向かってジルダの尽力で突き進みながら、マックスを巻き込み奇妙な三角関係、四角関係が形成されてゆく。
登場人物
・チェンバース(売れない劇作家)
・カーチス(売れない画家)
・ジルダ(広告デザイナー)
・マックス(下着会社の社長)
感想
「セールスマンの死」のフレドリック・マーチ(チェンバース役)の若かりし日の演技を見たくて視聴した作品。
コメディ色が強く、軽快でテンポが良かった。
演技が若いが、思考を働かせているときの間と落ち着きを織り交ぜたテンポが素晴らしい。
チェンバースのジルダを初めて見た時の、自身の髪を整える仕草や静止しながら笑みを浮かべて彼女を見つめている表情が性への欲が出ていて若者らしかった。
またムキになって喧嘩腰になるところが、恋への発展を予感させていた。
創作中のチェンバースが、マックスの言葉から劇中の台詞を思いつくシーンが、会話に集中しながら創作に没頭していることを暗示していて分かりやすかった。
恋は盲目、付き合い始めのシーンは会話が非合理的で、何を話しているのか本人たちにしか分からない。
マックスは大人だから、恋をしていても話の内容が合理的であった。
カーチスと喧嘩したチェンバースが彼に言った「スーツケースは?売ったな?」の台詞は2人が仲直りするキッカケとしてはぴったりであった(荷物をまとめて出ていけないという大義名分が生じる)。
ジルダが部屋に来ることが決まって、綺麗なシャツをせかせかと用意していたり、部屋を掃除していたり、ゴミ(見られてはいけないもの)を隠そうとしているシーンから彼女に良く思われたいという思いが伝わってくる。
ジルダが部屋に来た時、カッコつけて足を組んだり、彼女の一挙手一投足を見逃さず、要求に応えようとする姿から男2人がベタ惚れであることが伝わってきた。
ジルダがチェンバースとカーチスそれぞれと親しく話している時の片方の自然とムキになるリアクションが、友情がありつつも、嫉妬している気持ちを持っていることを表現していた。
ジルダの「2人とも才能があるのに自意識が強すぎるのよ」という台詞になるほどと思えた。
チェンバースの演技が、「セールスマンの死」と違って芝居がかっていたが、一流の劇作家や演出家、偉大な詩人に見えた(ただの中二病とも言えるが・・・)。
チェンバースがカーチスとジルダをロンドン随一の劇に招待しようとして、手紙を代筆させている時の生き生きした気分と、彼らからの手紙を受け取った直後のしょんぼりした気持ちの違いが分かりやすい演技であった。
チェンバースが劇場スタッフに劇の前売り券などの売れ行きを聞く時の背筋のピンとさせた真摯な表情が一流な感じが出ていて良い。
公演を終えて地元へ戻ったチェンバースが、カーチスとジルダの関係を知った時の諦めモードからの、故障していたと思っていた愛用のタイプライターをジルダが操作して動き出した時の、心でくすぶっていた情熱が再燃するのを互いに感じて寄り添ったのがロマンチックであった。
チェンバースと浮気中にマックスが部屋に来た時のジルダの、チェンバースと会わせまいと焦りを隠して話を聞いて早く帰らそうと落ち着いて対応するシーンがリアルであった(会話はゆっくりであったが、挙動が速かった。さすがに早く帰れとは言えない)。
マックスがチェンバースの悪口を言っていたが、それはマックスの口癖を劇中の台詞のハイライトに利用していたから(私が別の人に話した考えをさらに別の人が私のアイデアと知らずに自分の考えであるかのように話してきたり、日常生活でさえもよくある・・・ろくでもないな)。
カーチスにジルダとの浮気がばれてチェンバースが荷造りするシーンで、カーチスからタイプライターを渡されるときの「持ってけ泥棒」の台詞がタイプライターを通じてジルダを暗示していた。
ジルダとの関係を通して仲違いしていたチェンバースとカーチスであったが、荷造り中に彼女が置手紙を残していなくなってからの話を色々しているシーンは仲直りすることが共通の目的であり、着地点であったため分りやすかった(会話が冷静で論理的になった、11年間という付き合いの長さが分かる。ごめんが言えない人たちだが、お互いを必要としていて、かつ信頼関係があるから成立する)。
ジルダがマックスと結婚した時、チェンバースとカーチスからお祝いの手紙をもらった時のマックスが彼女を説得するような台詞回しが若さではなく老練さを感じる言い回しであった。
フレドリック・マーチの演技、「セールスマンの死」より二回りくらい年齢が違うから、若い。
「セールスマンの死」の時は、役柄の関係もあって重厚感が凄い。