あらすじ

ローマ大火はキリスト教徒が引き起こしたとして、彼らの処刑を命じる皇帝ネロ。

マーシアに一目惚れしたマーカスは彼女を救おうと試みるも、ティゲリヌスや皇后ポッパエアの障害にジリ貧となってしまう。

登場人物

・マーカス(軍の長官)

・マーシア(キリスト教徒、マーカスと恋に落ちる)

・ネロ(ローマ皇帝)

・ティゲリヌス(マーカスを陥れようとする野心家)

・ポッパエア(ネロの后)

感想

ネロの治世下で真実の愛を獲得するためのストーリー。

物語の筋が分かりやすい(大火発生→ネロにとって目障りなキリスト教徒に罪を着せて弾圧を開始→マーカスとマーシアが愛に目覚める→ティゲリヌスが2人の愛を妨害→マーカスがマーシアを救う→ポッパエアが皇帝を巻き込み、2人の愛を妨害→マーカス、マーシアと愛を成就させる)

マーカスとティゲリヌスは思想が正反対であるがゆえに相性が悪い。

マーカスは純粋なところもあるが、ティゲリヌスは陰険でマーカスが嫌い(純粋な人は相手が嫌がることを意図的にやらないが、ティゲリヌスは陰険なためマーカスが嫌がることを常にやっており、皇帝に対しては忠義面をする)。

マーカスがマーシアと楽しんでいるところに、ティゲリヌスが皇帝のキリスト教徒処刑の勅書を持ってきた時、マーカスが言った「なぜわざわざ私を探して命令を?」という台詞、それから表情と言い方から、マーカスが普段からティゲリヌスから嫌がらせを受けている背景が見て取れる。

特にキリスト教徒処刑直前に、ティゲリヌスが皇后に耳打ちした「マーシアだけ最後に処刑します」といった内容の台詞は陰険の最たるもので、出世をしてはいるもののイジメの主犯格に擦り寄る小物感がよく出ていた。

ティゲリヌス軍から矢を受けて死んでいくキリスト教徒の中で生き残り、そして母親を失った少女がいたが、泣きじゃくる姿が戦争孤児や難民となった人を連想させて現代に通じるものがある。

マーカスが宴会を開いたシーンで、長官としての華やかだが堕落した生活感が見えてきたが、彼がマーシアに対してこれまで関係を持った女性のような、ふしだらさのないところに魅力を感じたことも伝わってきた(マーシアと彼女以外の女性との対比が明瞭で、これまでの女性はマーシアと違い尻軽で簡単だったので遊びこそすれ、愛するところまではいかなかった)。

キリスト教の伝道師がキリストの最期を語るとき、情景を思い浮かべながら話しているシーンから、伝道師のキリストに対する尊敬の念が伝わってきた。

マーカスがポッパエアに誘惑されるシーンで、彼女の顔や目をあまり見ることなく会話しているところから、彼はポッパエアを嫌悪しつつも、立場上表面に出せないことが理解できた(職場などで、陰湿で嫌らしくて気持ち悪い奴が私と仲良くしようとして話しかけてくるが、立場上あまり表面に出さないように振舞う時と対応が同じ。ポッパエアもマーカスから「性悪女」と言われた)。

最後のキリスト教徒処刑前の人間同士、人と獣の殺し合いを観て民衆がストレス発散しているシーン(現代でいうと格闘技系スポーツかな)は冒頭で描かれていたキリスト教の教義がネロの統治に反するという定義に説得力を与えていた(集会シーンでキリスト教は皆を愛するみたいなことを伝道師が言っていた。また民衆はいつも楽しそうだが、キリスト教徒は貧しくて辛そう。キリスト教徒はローマ政治で幸せを感じられないから、反乱を起こせない代わりにキリスト教を選択した)。

集会で捕まり、連行される時のキリスト教徒を兵士が笑いながら見つめる様が、どういう時代であるかを象徴していた。

マーカスは最後、マーシアと共に処刑場へ上がるが、彼女がもし途中で棄教するなどして自分の意志を曲げていたら、もしかすると、マーカスの熱も冷めていたかもしれない。

マーシアが最後まで自分の信念を貫く人であったから、マーカスも運命を共にしてでも添い遂げようとしたのかもしれない・・・。

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